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能登半島地震の支援へ

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札医大病院DMAT 拠点本部の立ち上げ
避難フロー、新たなSCU設置も

 能登半島地震の被災者支援へ、本道からDMAT28チーム(21日現在)が派遣された。第1班として札医大病院(土橋和文院長・922床)DMATチームは、公立能登総合病院(七尾市)を拠点として、避難所、高齢・障害等施設などのスクリーニング、医療ニーズの抽出を行う一方、珠洲市DMAT活動拠点本部の立ち上げに関わり、病気から守りケアする一時受け入れのSCUの設置、避難フローに当たるなど、全国から派遣されたDMATの診療と搬送が円滑にできるよう調整し、医療救護の統括業務に携わった。  今回派遣されたメンバーは、郭光德医師、東條隆太郎医師、松本宏美看護師、石井優子看護師、業務調整員として瀨上朋宏氏、堀川大輔氏(いずれも事務職員)の計6人。7日に札幌を立ち、飛行機、レンタカーを使って8日に現地入り、9~13日まで活動した。  札医大病院チームが現地に入った時はDMAT隊の数がまだ少なく、人手が手薄状態。避難所の損壊がひどいところも見られ、そんな環境の中で避難者が暮らしている現状を目の当たりにした。道路等の寸断によるアクセス悪化で支援が受けにくく、特に避難者の搬送体制に困っていた。  ここでつくったSCUは、患者を一時的に受け入れ、安定化させて搬送につなげるのではなく、「生活できなくなった避難者で入院適用がない、病気ではないがケアが多い人を一時的に受け入れて対応、翌日には金沢方面に搬送する場所」というこれまでの震災ではなかった新たなSCUだ。  活動拠点本部長を務めたリーダーの郭光徳医師は「患者さん以外の人をケアするSCU立ち上は初めて。かなり手探りでやった。こういうところにも今後のニーズが広がり、活動していく可能性を感じさせる経験だった」と話す。  新型コロナやインフルエンザなど、寒冷寒気で感染症が拡大していた時期なため、感染予防、感染隔離等の対策にも力を注いだ。「医療機関スタッフの負担が増えていく一方なので、なるべく、病気になる前に、避難者の人を非被災地へ避難させる。水不足をはじめ、ライフライン回復のめどが立たない中で、施設にいる入所者が早く出られるよう、避難フローを立ち上げ支援をしてきた」。  なるべく顔が見えるようにコミュニケーションを密に取り、DMAT活動の効率が悪くならないように、心がけていたという。  能登半島地震の支援は長期化が予想されている。「その地域がどこまでの機能回復目指すのか。被災側の医療機関、スタッフらの意向に寄り添って支援していくことが大事」とも語る。  現地で得た教訓も数多い。郭医師は、海に囲まれ、広大な本道はアクセスが悪いため、道外からの支援、その後の患者搬送フローは能登よりも遅れる可能性がかなり高いのではないかと懸念。「空路、陸路、感染環境も厳しい。最初の急性期はすぐに支援が入らないので、道内の医療機関、市町村でしつかり連携して、しのいでいく体制を日頃から構築していくことが大事」と語る。  一方、札医大病院内には「北海道DMAT調整本部」が設置され、全道から派遣されたDMATチームの派遣調整、後方支援に当たっている。成松英智救急医学講座教授は、「移動が大変だった。それぞれの病院で同じような苦労しており、支援する時も、受援をもらう時も同じ問題が起きる」と連絡調整を強化している。

市立札幌病院DMAT 搬送調整や避難所巡回
自らの車で患者搬送も

 市立札幌病院(西川秀司事業管理者・672床)のDMAT隊は9日から13日まで、輪島市役所内にある保健医療福祉調整本部で、避難所のスクリーニング、搬送調整を中心に活動した。  派遣されたのは、中嶋拓磨医師、萬彩子看護師、中易俊一看護師、大下直宏薬剤師、山下広樹臨床工技師の5人。  同DMATは悪路の中、長い時間かかって輪島市到着。全国からのDMAT12隊がいたが、現場はかなり混乱していた。朝、夜の2回ミーティングで、その日の振り返り、積み残しの話し合いなどが行われ、「搬送フローをしっかり作ろうと、修正するたびにみんなに伝えていた」と中嶋医師は話す。  避難所には3日目から巡回。ライフラインは特に水に制限があり、避難所にはたくさんの人があふれ、環境や衛生状況が良くなかった。さらに新型コロナやインフルエンザ等の感染症が流行っていたため、部屋ごとにゾーニング対応を実施した。  少人数ながら診療にも当たった。脱水症状がひどい高血糖高浸透圧症候群となっていたインスリン接種が必要な糖尿病患者、意識状態が良くない高齢者の計3人について、介護職員と相談しながら、早めに病院に移すことができた。  道路は陥没やひび割れが多く、かなり悪い状態。移動の選択肢が限られ、搬送手段が確保できなかったことから、自分たちの車を使って患者搬送も行った。  中易看護師は「今後、現地で活動しやすいようなテンプレート的なものも事前に作っておくと、情報収集にかかる時間、搬送フローをつくる時間なども節約でき、ケアする時間をもっと確保できると思う」と振り返る。  23日からは第2陣のDMATが現地入りした。中嶋医師は「誰かがいてくれるから、私が行けた。DMAT以外でもできる支援をこれからも続けていきたい」と話す。

札幌東徳洲会DMAT 現地まで救急車で移動
北国の経験生かし患者搬送

 1日に発生した能登半島地震は、石川県志賀町で震度7を観測。さらに震源地を中心に日本海沿岸各地に津波をもたらした。徐々に明らかになってきた被害は甚大で、16日時点での住宅被害は全壊が398棟、半壊は680棟。死者は222人(うち関連死14人)となっている。被災地には、各都道府県から災害派遣医療チームDMATの派遣が続いており、本道からも16日時点で計18チームが現地入りして、被災地での各種医療支援等を行っている。  札幌東徳洲会病院(山崎誠治院長・336床)は、7日に出動要請を受け、その日のうちにメンバーを招集し、現地に向かった。被災地での活動を通して、どのような課題があったのか、今後の被災地医療にどうつながっていくのか、現地で活動したメンバーに話を聞いた。      ◆  同病院がDMATの出動要請を受けたのは7日の昼。早々にメンバーが集まり、出動後の日常業務の引継ぎ等について調整を行ったほか、現地で必要となると思われる物資を用意し、同日の午後10時には、川内健太郎放射線科医師と福永よしえ看護師、井沼浩政救急救命士と坂佳代子救急救命士の計4人が救急車に搭乗し、陸路、石川県に向かった。  「当初、空路と陸路で迷ったが、現地での利便性等を考慮して、救急車ごと向かう陸路を選択した。時間はかかったものの、後にこの判断が正しかったと分かった」と川内医師は振り返る。  高速道路で函館まで向かい、フェリーで青森へ。そこから高速道路などを利用した結果、8日の午後10時に石川県に到着。9日には、灯油等の物資を被災地各地に届けながら、能登町の公立宇出津総合病院に到着した。  「報道にもある通り、地割れ、崩落などによって道路は各所で通行止め、片側通行などとなっているのに加え、多くの災害支援車両で混雑し、移動には想定よりもはるかに時間を要した」と坂救急救命士は話す。  そういった道路状況もあって、目的地までの道中の物資搬送も地域支援に重要な役割を果たした。      ◆  公立宇出津総合病院では、川内医師は救急外来の補助として活動。同病院の医師が救急車対応を行う中で、夜間対応を支援したほか、発熱者対応も部分的に手伝った。また、災害診療記録/J-SPEEDの入力作業なども行った。  福永看護師は、救急外来診療支援を担当。「周辺地域に他に病院がないので、なにかあると同病院を頼るしかない。寒さのせいもあってか、発熱患者が目立ち、地元のスタッフからは、いつもよりも患者数は多いと聞いた」。  長引く避難生活、続く余震など、地域住民にとって不安な日々が続く。自宅で生活できたとしても、町内は断水が続いており、困難な生活環境が感染症など体調悪化につながっている可能性が高いという。  2人の救急救命士は、現地本部支援指揮所で本部要員として搬送、物資や人員配置調整、各種連絡などを担った。同病院は許可病床が100床のところ、56床で稼働していたが、発災後、断水が続いているほか、スタッフが働き詰めの状態で疲弊が激しいなどの理由で、稼働を20床まで減らすことに。  当時、同病院には札幌東徳洲会病院のほか、愛知県から3チームが派遣されていたが、救急車を有していたのは札幌東徳洲会病院のチームだけだったこともあり、患者搬送で大いに役立った。  その後、4日間の支援活動を終了し、現在はそれぞれ通常勤務についている。      ◆  チームはDMATとして初の派遣となったが、メンバーはみな「これまで繰り返し受けてきた研修や訓練が役立った。さまざまな災害のシチュエーションを学んできたことが生かされた」と口をそろえる。  一方で、被災地に向かう道中で寝袋を用意するなど、現地の状況がつかめない中で、自身が支援を続けていくために必要な物資の選定に苦労したという。  現地では、断水のため簡易トイレしかない状況だが、福永看護師は「公立宇出津総合病院の計らいで、空いた病室を用意してもらえるなど、現地スタッフは疲労の中でも、派遣チームに対しての心遣いもあり、感謝している」と話す。  井沼救急救命士は「救急車で搬送している道中、何度も住民の方々に頭を下げられ、感謝を告げられた。厳しい環境の中、それでも頑張ろうと思えるのは、やはり人と人のつながり」と訴える。  今回の派遣では、雪が降ってくる中、冬道での救急車の運用、防寒など、北国ならではの経験が役立った場面も多い。しかし「被災地がこの時期の北海道だった場合、支援に来るスタッフの多くは、北海道より南の地域からとなる。想定外の困難が生じる可能性は高い」と川内医師は言う。また、災害支援チームがその力を発揮するには「受け入れ側のスキルも求められる」と指摘する。  一方、福永看護師は、「災害支援は派遣されたチームだけでなく、普段の職場に残ったメンバーの働きも重要」と訴える。今回の派遣でも、残ったメンバーは宿泊の手配、情報収集などさまざまな面でチームを支えた。  川内医師は「今回の派遣で実感したこと、学んだことを病院スタッフに伝え、災害への備えにつなげていきたい」と話す。  同病院では、23日からDMATの2度目の派遣を行っており、現在、被災地で医療支援を行っている。

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